苗々と わが呼ぶ声は山こえて 谷のすそこえ 越後田植えのうた
「苗、苗と私の呼ぶ声は、山を越えて、谷裾を越えて響き渡るよ 越後の田植えの歌」
良寛研究者の峯村文人氏によれば、この歌は石川県鹿島郡田植え唄だそうで、文献によっては別人歌とされることもあります。新潟平野には山や谷がほとんどありませんので、田植え唄の響き渡る様子はイメージしにくいのですが、遥か過去に行われていた集落総出で行う田植えには、このような明快で希望に満ちたリズム感のある唄が似合いますね。
早苗とる 山田の小田の 乙女子が うちあぐる唄の 声のはるけさ
「稲の苗を手に持って、山の間の田に植える娘たちが、声を高くして歌う田植え唄の声が、はるか遠くにまで聞こえることだ。」
以前の田植えは女性たちによることが多かったのでしょうか。水が張られた水田に映る娘たちと声高な歌声が、里山や棚田を超えて遠く良寛さまの耳にまで届いたのでしょうか?
雪国にとって、長い冬から解放され一斉に命が芽吹く春は、それだけでも心弾むもの。娘たちの声と春のうれしさが重なるような唄ですね。
ひさかたの 雨も降らなむ あしびきの 山田の苗の かくるるまでに
「何とかして、雨が降ってほしい。山の間の田に植えた稲の苗が、水にかくれるまでに。」
灌漑施設が発達していない江戸時代には、十分な水を安定して確保することが難しい地域も多かったのではないかと思われます。田植え後から稲が根付くまでの間は特に水が必要な時期、当時は空を見上げ、天に祈る他方法が無かったかもしれません。
またこれは山田の稲ばかりではなく、一人ひとりの想いがなんとかして叶ってほしいという良寛さまのやさしい気持ちが詠まれた唄かもしれませんね。
手もたゆく 植うる山田の 乙女子が 唄の声さへ やや哀れなり
「手も疲れてだるそうに、山の間の田に稲の苗を植える娘たちが田植え唄を歌う声まで、ひどくかわいそうだ。」
この唄は、良寛さまが亡くなる前の年、文政十三年(1830年)の作といわれており、前出の「ひさかたの〜」とは連記の歌となっています。これまでの唄とは一転して、農作業の大変さや深刻さを表した唄となっており、晩年の良寛さまの枯淡で哀愁に満ちたおもむきがあります。
ミュージカルでは、大人も子どもも歌い、踊り、田植えを表現します。躍動する役者さん、それを支えるすてきな楽曲をお楽しみください。
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